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中瀬の祭り


♦其の二 中瀬での屋台誕生

西中連・四塔連・屋台の作製

 昭和51年、5月頃より会員が集り始めた。「御神興ではしょうがない、屋台を作ろう」老いも若きも子供も参加出来る祭りにするには、屋台が一番良いのではないかとの話にまとまった。
 しかし屋台を作るには金もかかる。しばらくの間は会員有志の手作り屋台でやろうということになったが、知識もないということで皆とまどっていた。
 大城モータースが軽四輪の車を提供してくれ又中野溶接が車を改造してくれた。設計は岩崎雅美氏が行った。それから会員の皆が日曜日は朝から、平日も仕事が終わってから大城モータースに集り屋台作りが始まった。又、材木は鈴木材木店(鈴木淳二氏)の提供等、皆が協力をし作業は順調に進んで行った。
 それを見ていた四塔の人達(四区21班)の間でも屋台作りの話がまとまり、小城板金(小城勝治氏)と内野豊氏が主になって始まった。名前は『四塔連』。屋台作りが進むにつれて仲間が次第に増え、五区も二分した形で西中連と四塔連に加入し会員も増えてきた。

「西中連」「四塔連」屋台の入魂式

 昭和51年9月19日(日)中瀬小学校グラウンドにて、西中連、四塔連屋台の入魂神事が天神社・津島神社宮司大城文男氏により行われ、無事終わり投げ餅ちの準備OK。
 伊藤菊司が屋台の屋根に上がり餅を投げようした時、突然母が顔色を変えて呼びに来たのであった。菊司は屋台の屋根の上、母が下で呼んでいる。急いで下に降りると子供が生まれそうとのこと。すぐ帰り、車に乗せて病院へ行く。そして、すぐに出産長女誕生の忘れえぬ記念すべき日である。この落成式の日、9月19日をおそらく皆に聞いても百%答えられる人はないと思う。でも、菊司にとって一生忘れられぬ日であった。

2.jpg(118168 byte) 昭和51年9月19日(日)中瀬小学校グラウンドに於いて、西中連・四塔連屋台入魂式神事が天神社、津島神社宮司の大城文男氏により行われた。
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 完成した四塔連(左)、西中連(右)の屋台。
大太鼓・小太鼓の借用

 屋台が出来ても、太鼓がなければ様にならない。困っていたところ鈴木淳二氏が捜してきてくれた。
 天竜市日明という部落である。ここでは古くから祭りが行われていたが、船明ダム(天竜川)の完成により湖底に水没してしまった。そのような中で、鈴木氏の知り合いである、日明出身の於呂鈴木速算塾が祭り用の大太鼓と小太鼓1個を保管していることを聞き、そこより借りることにした。
 しかし、屋台には3個の小太鼓を乗せる予定だったため、二個の不足分は市川畜産(浜北食肉販売)が快く寄附をしてくれることになり、大太鼓、小太鼓が揃った。
 会所はこの年より市川畜産も借り、西と東の二箇所とした。

おはやしの練習

道具(大太鼓、小太鼓)が揃った。いよいよ練習開始。
 大城製菓が仕事上知合いである天竜市二俣車道、村瀬屋の若旦那にお願いし指導に来てくれることになった。横笛は大念仏で多少経験のある、伊藤菊司・河合秀一氏が習い、大太鼓は鈴木淳二氏が練習して覚え子供達に教えた。曲目は「チャンチャラおかし」「四丁目」「やなぎばやし」の3曲。練習は大城モータースを借りて行った。

初の屋台引回し(昭和51年10月17日)
 

初めての屋台引回しとあって要領が分らない。他の地区に教えてもらうしかない。
警察への道路使用許可の手続きなどは大城モータースが行ってくれた。
すべての準備が整い、祭り当日を迎えた。今までの中瀬地区の祭典は宵祭りが主だったため、祭典の為に会社を休むなんて考えられなかった。
屋台の出発は12時、それまでに会所、子供達への菓子・ジュース等の準備を終えなければならない。若連の人達は早朝7時頃より集りだし、やっと準備完了。予定通り12時出発。中瀬で最初の屋台曳き回しである。
小さい子供から年寄りまでが、一緒になって楽しそうに出発した。

 
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