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中瀬の祭り


♦其の三 他地区の屋台製作

上島地区(中瀬1区)

そんな中で上島地区でも屋台作りが始まった。我々の屋台の様な軽四輪のシャーシーではない。本格的な物である。内山組宮大工が製作をしている。
 足回りは昔の牛車で舵は臼(うす)である。とてもかなうわけがない。しかし、我々の屋台はすべて会員の手で気持ちを込めて作られている。お粗末でも愛着がある。
 上島地区の屋台も完成し、昭和51年10月3・4日の第一土・日曜に中瀬地区で最初の屋台曳き回しが行われた。
 ちなみに、祭典の日は10月第一土・日曜日が上島、第二土・日曜日が津島神社、第三土・日曜日が天神社とそれぞれ別の日に行われていた。

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中央が現在も使われている最初の屋台

中瀬北部自治会(中瀬三区、八区)

 昭和52年中瀬北部自治会(三区、八区)でも屋台製作の話が出てきた。自治会内での話し合いの結果、屋台は区ごと作り、曳き回す事になった。
 両町内とも地元の大工が作ることになった。約300万円の製作費で両区ともほとんど同じような形・構造であり、すべてに歩調を合わせ、軽四のシャーシーを土台に製作。おもしろいことに両屋台ともハンドルはそのままの形で残し、丸いハンドルで舵を取っていた。なぜハンドルを取って、舵にしなかっただろうか?
 屋根は大工が作っただけあって西中連・四塔連より、はるかに良いものであった。運営については十分検討をし、四区とは違って有志ではなく町内会で実施することとなった。名前は『さんくれん』、『はちくれん』と、ちょっとさえない。

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さんくれん屋台 はちくれんの屋台

中瀬二区

 昭和52年 二区でも屋台作りが始められた。名前は、『さんくれん』『はちくれん』に比べると粋な『揚十四連』太陽寺大工らが中心となり若連との協力で作り上げた。一屯車のシャーシーを土台にしてある。三区、八区のオーソドックスな形に比べ少しノッポの変わった形である。揚十四連とは、中瀬の小字「揚見(あげみ」の十四班でスタートしたためである。 

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揚十四連(現二区連)の屋台